【連載・第6回】「AIは日本製造業の救世主か?」

2026.07.03
  • コンサルティング
  • 製造業
  • ものづくり


執筆者 伊藤 尚志 執行役員 PLACE Div.担当
慶應義塾大学経済学部卒。アクセンチュア、デロイトトーマツコンサルティングを経て、2023年6月より株式会社オーツー・パートナーズに参画。

Podcast『製造業進化論-技術とデジタルと経営と-』

オーツー・パートナーズ制作Podcast番組『製造業進化論-技術とデジタルと経営と-』にて、本コラムを執筆した伊藤尚志が『“作るだけでは儲からない時代”、製造業はどう戦うか?』をテーマにトーク。MCは当社取締役の勝見靖英が務めます。

第6回「AIは日本製造業の救世主か?」

はじめに

第四回では、巨大な供給能力とデジタル・AI技術が結びつくことで、供給システムそのものが学習し始めるのではないかという仮説を提示した。

従来、学習する主体は人だった。

しかし企業活動のあらゆる場面がデータとして蓄積され、知識として再利用されるようになれば、供給システムそのものが学習し、進化する可能性がある。


第五回では、その仮説が現実に現れ始めているのかを検証するため、中国製造業の事例を調査した。

Lighthouse Factory認定事例やIndustrial Agentの取り組みを調べる中で、特に興味深かったのが美的グループである。

美的は世界経済フォーラム(WEF)のLighthouse Factory認定を複数回受けているだけでなく、KUKA買収やFactory Brain構想を通じて、供給能力そのものを知識化しようとしているように見える。

美的の取り組みを観察していると、単なる工場のデジタル化やAI活用という言葉では捉えきれない変化が見えてくる。

企業活動全体を学習環境とし、そこから生まれる知識を構造化し、さらにAIを活用して新たな知識や改善へとつなげていく。

その結果として、供給能力そのものが継続的に進化していくのである。

筆者は、このような新しい供給モデルを「知能搭載型供給システム」と呼びたい。

第五回の観察から見えてきたのは、その知能搭載型供給システムを支える三条件である。

本稿では、それらを手掛かりに日本企業への示唆を考えてみたい。


知能搭載型供給システムを支える三条件

第五回で観察した美的の事例を振り返ると、WEFが評価しているのは設備性能やロボット台数そのものではない。もちろん、デジタル技術やAI活用は重要な評価対象である。

しかし評価の中心にあるのは、それらの技術を活用してどのような経営課題を解決し、どのような成果を生み出したかである。

需要変動への対応、多品種生産、サプライチェーン運営、品質改善、リードタイム短縮等

製造業の重要KPIをデジタル技術も活用しつつ大幅に改善したことである。


実際、美的が認定を受けた複数の工場を見ても、対象製品や個別課題は異なる。

しかしWEFが一貫して評価しているのは、デジタル技術やAIを活用し、生産性、品質、リードタイム、レジリエンスといった重要KPIを大幅に改善するとともに、その改善を継続的に積み上げている点である。

つまり、デジタル技術を活用して供給能力を進化させ続ける能力なのである。

では、そのような供給能力はどのように実現されているのだろうか。


第五回の観察から見えてきたのが、

・Learning Environment(学習環境)
・Knowledge Framework(知識体系)
・Knowledge Engine(知識エンジン)

という三つの条件である。

これらはWEFや美的が用いている言葉ではなく、第五回の観察結果をもとに筆者が整理した分析フレームワークである。

【Learning Environment】

ここで重要なのは、美的が単に巨大な供給能力を持っていることではない。

巨大な供給能力そのものを学習環境へ転換している点である。

開発、生産、物流、販売といった企業活動全体からデータを収集し、その結果を再び供給能力の改善へ反映している。美的の公表資料によれば、Factory Brainは一日あたり数十億件規模のデータを処理している。

巨大な供給能力は大量の試行錯誤を生む。

大量の試行錯誤は膨大なデータを生む。

そしてデータは新たな学習の材料になる。

第四回で提示した

「巨大供給能力 → 巨大学習環境」

という仮説は、まさにこの構造を指していた。

企業活動そのものを継続的にデータ化し、知識化する仕組みなのである。


【Knowledge Framework】

しかし巨大な学習環境から得られるデータは、そのままでは競争力にならない。

重要なのは、それを再利用可能な知識へ変換することである。

美的によるKUKA買収は、この観点でみると単なるロボット事業の取得とは見えない。

むしろ製造知識体系そのものを獲得し、自社の供給能力へ取り込もうとする動きとして理解できる。

美的のFactory Brainを見ると、品質、物流、生産計画、保全といった領域が共通の枠組みで整理されており、これらの機能を支えるAIエージェントが導入されている。

これらのエージェントを動かすには、知識を蓄積し共有するレポジトリや共通のデータモデルが必要となるが、こうしたアーキテクチャが美的の公式資料で示されている。

これは単なるデータ蓄積をこえて、供給能力に関する知識を構造化し、再利用可能にする仕組みである。

品質改善の知見、生産計画のノウハウ、設備保全の判断等の知識が共通の言語で整理されて初めて、企業全体で活用できる知識になる。Knowledge Frameworkとは、巨大な学習環境から生まれたデータを知識へ変換し、組織全体で再利用可能にする基盤なのである。


【Knowledge Engine】

知識が整理されても、それだけでは供給能力は進化しない。

知識を活用し、新しい供給能力へ転換する仕組みが必要になる。

美的が公表しているFactory BrainやIndustrial Agentは、品質、物流、生産計画、保全などの日常業務を支援しながら、新たな課題解決を行っている。

重要なのは、その結果として生まれた知見が再び知識として蓄積されることである。

Knowledge Engineは単なる検索機能ではない。

知識を活用し、新しい知識を生み出し続ける循環装置なのである。


第四回の仮説で言えば、Knowledge Frameworkがナレッジ化を担い、Knowledge Engineが再構成を担う。供給能力に関する知識を横断的に結び付け、新たな改善や意思決定へ結び付ける。それによって供給能力そのものが進化していくのである。


図表1 知能搭載型供給システムの形成プロセス

本稿で注目したいのは三条件そのものではない。

三条件によって実現される供給能力の知識化と再構成である。

第四回で提示した仮説は、

巨大供給能力

巨大学習環境

ナレッジ化

再構成

さらに強い供給能力

という循環だった。

第五回での美的の取り組みの観察を通じて、その循環を支える構造が少しずつ見えてきたのである。


日本企業は本当に不利なのか

ここまでの議論を読むと、中国企業に対して日本企業は不利に見えるかもしれない。

しかし三条件という視点で見ると景色は変わる。

まずLearning Environmentである。

中国企業の強みを巨大工場だけで捉えると、日本企業に勝ち目はないように見える。

しかし学習環境を企業活動全体で捉えるなら話は変わる。

日本企業には数十年にわたり蓄積してきた設計資産がある。

品質改善の履歴がある。

保守ノウハウがある。

顧客との関係がある。

現場改善の知見がある。

サプライヤーとの協業経験がある。

これらは本来、巨大な学習環境になり得る資産である。

しかし多くの場合、それらは図面、報告書、会議資料、個人の経験や記憶として分散して存在している。企業活動を通じて膨大な知識は生まれている。

にもかかわらず、それを組織として学習すべき対象として認識し、継続的にデータ化・知識化してきた企業は決して多くない。

言い換えれば、日本企業にLearning Environmentが存在しないのではない。

Learning Environmentになり得る資産を十分に活用できていないのではないか。


知能搭載型供給システムは経営課題である

ここで見えてくるのは、日本企業の課題がAI導入そのものではないということである。

現場には知恵がある。

設計にも知恵がある。

営業にも知恵がある。

しかし、それらが企業全体の知識体系として繋がっている企業は決して多くない。


また、生成AI活用も急速に進み始めているが、多くは個別業務の効率化に留まっている。

設計支援、品質改善、生産計画、調達判断、設備保全、顧客対応等々

こうした企業活動全体を学習し、改善する仕組みとして活用されている例はまだ少ない。


つまり課題はAI導入ではない。

Learning Environmentを整備し、

Knowledge Frameworkによって知識体系化し、

Knowledge Engineによって日々の業務改善と新たな知識創出を回し続ける。

その全体を設計することである。


供給能力は強化され、同時に相対化される

供給能力の知識化は競争力を高める。

と同時に、その供給能力を複製しやすくもする。

技能伝承は容易になる。
育成速度も向上する。

一方で模倣やリバースエンジニアリングの速度も上がる。

すなわち供給能力の知識化とは、競争優位を強化すると同時に、競争優位を相対化する側面もある。


おわりに

中国企業の観察から見えてきたのは、中国特有の成功モデルではない。

AI時代における新たな製造業競争力の構造である。

巨大な学習環境を持ち、

知識を構造化し、

知識を活用して新しい知識を生み出す。

そして蓄積した知識を再構成し、新たな供給能力へ転換する。

これが知能搭載型供給システムの本質である。

今後は、供給能力からどれだけ学び、その学びを次の供給能力へ結び付けられるかを競う時代になる。企業活動そのものを学習し続ける仕組みへ変えていく経営課題なのである。


一方で競争環境はより激化する。供給能力が知識化され、再構成され、複製されるスピードが比較にならないほど速くなるからだ。すなわち、この競争が進むほど、競争優位を保ち続けることはより難易度が高くなる。

そのとき企業が問われるのは、「何を作れるか」ではなく、「なぜ選ばれるのか」という問いがこれまで以上に重要になる。

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