【連載・第5回】「工場は学習装置になる ― 美的Factory Brainに見る『供給能力の知識化』」

2026.06.26
  • コンサルティング
  • 製造業
  • ものづくり

執筆者 伊藤 尚志 執行役員 PLACE Div.担当
慶應義塾大学経済学部卒。アクセンチュア、デロイトトーマツコンサルティングを経て、2023年6月より株式会社オーツー・パートナーズに参画。

Podcast『製造業進化論-技術とデジタルと経営と-』

オーツー・パートナーズ制作Podcast番組『製造業進化論-技術とデジタルと経営と-』にて、本コラムを執筆した伊藤尚志が『“作るだけでは儲からない時代”、製造業はどう戦うか?』をテーマにトーク。MCは当社取締役の勝見靖英が務めます。

第5回「工場は学習装置になる ― 美的Factory Brainに見る『供給能力の知識化』」

前回、私は一つの仮説を提示した。

中国製造業の本当の脅威は、巨大な生産能力そのものではない。

巨大な生産能力が生み出す膨大な試行錯誤が学習環境となり、その知識が再利用可能になることではないか。
整理するとこうなる。
巨大供給能力→巨大学習環境→ナレッジ化→再構成

今回は、この仮説が現実のものとなりつつある事例を紹介したい。

中国家電大手・美的集団(Midea)の「Factory Brain」である。

私は当初、この事例をスマートファクトリーの一種だと思っていたが、調査を進めるうちに、その理解は大きく変わった。

Factory Brainは工場の単なる自動化でもなく、デジタル活用でもない。

供給能力そのものを知識資産へ変換する仕組みなのである。


Factory Brainは何か

美的はFactory Brainを「インテリジェントエージェント工場の神経中枢」と定義している。

資料によれば、

  • 14のインテリジェントエージェント
  • 38の生産業務シーン

が相互に連携しながら工場全体を運営する。

興味深いのは人体との対比である。

脳                     :Factory Brain
手足                  :ロボット・AMR・設備
感覚器官           :IoTセンサー・カメラ

神経網              :エージェント

工場全体を一つの生命体として設計している。

これは単なるMESやAPSの延長線上にはない発想である。


Factory Brainは何を学習しているのか

最も興味深かったのはここだった。

Factory Brainの学習対象として挙げられていたのは、

  • 操作・運転ノウハウ
  • 品質・欠陥パターン
  • 設備故障兆候
  • 計画・物流判断

などである。

図表1 Factory Brainの学習対象

例えば、

ベテラン工程長が持つ「この季節は温度設定を少し変える」という経験。

品質担当者が持つ「この波形は不良の前兆だ」という勘。
保全員が持つ「この音は危ない」という感覚。

生産管理者が持つ「受注変動時はこう切り替える」という判断。

これらは従来、個人の頭の中に存在していた。

Factory Brainはこれを

暗黙知→アルゴリズム化→知識グラフ化→再利用可能資産

へ変換する。


つまり、ベテランの知識を置き換えるのではない。ベテランの知識を複製・再利用可能にしている。もっというと、再利用だけでなく、再構成も可能にしている。


図表2 知識化の対象となる38業務シーン

品質管理、生産計画、設備保全、物流運営。

Factory Brainが扱う領域は工場全体に及ぶ。

重要なのは、個別業務の自動化ではない。

工場運営そのものを学習対象としている点である。


24工場が生み出す巨大学習環境

ここで前回の仮説に戻りたい。

美的は現在、

  • 24のグローバル工場
  • 8つのLighthouse Factory

を保有している。

Factory Brainの資料によれば、

これらの工場から毎日約30億件のデータが収集される。

重要なのはデータ量ではない。学習機会の量である。

図表3 供給能力の知識化サイクル

毎日、

  • 生産
  • 品質
  • 物流
  • 保全
  • 設備運転

に関する膨大な試行錯誤が発生する。従来であれば、その多くは現場で消えていた。

しかしFactory Brainはそれらを学習対象にする。

すると、
巨大供給能力→巨大学習環境→ナレッジ化→再構成

というサイクルが回り始める。


工場は生産設備であると同時に、学習装置へと変化する。

ここに前回の仮説と現実が重なる。


荊州から世界へ

Factory Brainの本質を示す図があった。

タイトルは「荊州から世界へ」である。

図表4 知識の複製とグローバル展開

流れはこうだ。

荊州工場→モデル確立→抽象化→標準化→他工場へ展開→現地学習→本社へ還流

従来、海外工場の立ち上げは設備投資・人材派遣・技術指導から始まった。

Factory Brainの世界では違う。

設備と知識の展開が同時に可能となる。工場の複製ではなく、工場知識の複製である。

これは非常に大きな変化だ。

もし知識が同時展開できるなら、新工場立ち上げの速度も、品質立ち上がりの速度も、従来とは比較にならなくなる。


Lighthouse Factoryとして評価された理由

美的は8つのLighthouse Factoryを保有している。
WEFが評価したのは単なるAI導入ではない。

  • 先端技術の実装
  • KPI改善
  • スケーラブルな再現性
  • サステナビリティ

である。

図表5 8つのLighthouse Factory

例えば、

合肥洗濯機工場では

  • 労働生産性 +52%
  • 不良率 -53%

重慶商用空調工場では

  • 構成リードタイム -81%

タイ工場では

  • エネルギー消費 -40.2%

といった成果が報告されている。

しかし重要なのは数字そのものではない。

改善を再現できること。

改善を他工場へ展開できること。

Factory Brainはそこを評価されている。
特に本稿で扱っているFactory Brainは荊州工場(洗濯機)→タイ工場(エアコン)という展開が行われていることに着目頂きたい。


競争優位はどこへ向かうのか

Factory Brainの資料には興味深い整理がある。

従来の製造業の競争優位は、

  • 設備量
  • 労働コスト
  • 工場立地
  • ベテラン人材

だった。

一方でFactory Brain時代の競争優位は、

  • 知識化された供給能力
  • モデル再利用能力
  • 継続学習能力
  • 知識展開速度

だという。

私はこの指摘に大きな示唆を感じた。

もし供給能力そのものが知識化されるなら、競争の単位は工場ではなくなる。

知識資産になる。

工場が増えるほど、知識も増える。

知識が増えるほど、次の工場はより早く立ち上がる。

そこには自己増殖的な構造が存在する。


工場を作っているのではない

ここまで見てきて感じるのは、美的が作っているのは従来の工場ではないということである。

工場から生まれる知識を集め、再利用し、再構成する仕組みを作っている。Factory Brainの本質は、供給システムそのものの知識化である。

そしてこの構造は、前回提示した仮説とほぼ一致する。

巨大供給能力→巨大学習環境→ナレッジ化→再構成

美的の事例は、このサイクルが既に現実のものとなりつつあることを示している。

工場は生産設備であると同時に、学習装置にもなり始めている。

もしこの流れが広がるなら、製造業の競争優位は設備の量ではなく、知識化された供給能力へと移っていく。

それは単なるスマートファクトリーの進化を超えて、製造業そのものの競争原理が変わり始めていることを意味しているのではないか。

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