【第4回後編】浜野製作所代表取締役CEO・浜野慶一

2024.02.29
  • 対談連載『リーダーのアタマのナカ』

まずは「できる」と考える。若手を信じてチャレンジさせる環境が、会社を変えた

オーツー・パートナーズの代表取締役社長 松本晋一が日本の製造業をより元気にする手がかりを探し、様々な領域で変革を起こし続ける各界のキーマンにインタビューする対談連載『リーダーのアタマのナカ』。今回ご紹介するのは、東京都墨田区にある浜野製作所代表の浜野慶一氏。高い開発力を発揮し数多くの新製品開発支援を行っており、名だたる大企業やスタートアップから絶大な信頼を寄せられています。今回は、浜野製作所がどのようにしてイノベーションを起こす町工場として生まれ変わっていったのかを、浜野氏の取り組みから掘り下げます。

プロフィール 浜野慶一 株式会社浜野製作所/代表取締役CEO
1962年東京都墨田区生まれ、東海大学政治経済学部経営学科卒業、同年都内板橋区の精密板金加工メーカーに就職。1993年創業者・浜野嘉彦の死去に伴い、株式会社浜野製作所代表取締役に就任、現在に至る。同社は「おもてなしの心」を経営理念とし、設計・開発から多品種少量の精密板金加工、金型設計・製作、量産プレス加工、装置・機器の組立まで、幅広い業界業種の課題をサポート・解決している。また、電気自動車「HOKUSAI」、深海探査艇「江戸っ子1号」をはじめとする産学官連携事業や、ものづくりイノベーションを支える開発拠点「Garage Sumida」では、ベンチャー企業、大学・研究機関の開発支援を推進している。そのユニークな経営スタイルは「新たな先端都市型のものづくり」として、国内外から大きな注目を集めている。

ターニングポイントになった “呉高専”の若きエネルギー

松本:今までのお話を聞いていて、浜野製作所にはとてもいいサイクルができあがっているんだな、と思いました。浜野さんが多くのつながりをつくり、その人柄や想いに惹かれて共感した人が集まる。そしてしっかり結果を残すことで、また新しい依頼がくる…。浜野さんの中で、最初からこういう流れをつくりたいとイメージされていたのでしょうか?

浜野:いやいや、まったくなかったです。もともとは金属加工の工場ですから、開発をする人は一人もいなかったですし。でも前回お話したように、親父の代から少量多品種の開発をやりたいという気持ちは持っていました。そのために、大手企業の技術者を採用したこともありましたが、最初はうまくいきませんでしたよ。

松本:実は私、個人的に浜野製作所の潮目が変わったのは、呉高専(*)の学生を採用しはじめてからじゃないかと思っているのですが…どうですか?

*呉高専…広島県にある呉工業高等専門学校。機械工学科、電気情報工学科、環境都市工学科、建築学科の4つの科があり、5年間の一貫教育で、優れた専門技術者を育成している。

浜野:松本さん、さすがです!その通りです。呉高専の子たちが来てくれるようになってから、会社が変わってきたと思っています。

松本:やはり、そうなのですね。

浜野:はい。呉高専を知ったきっかけは、呉出身のコンサルタントの方との出会いでした。その方から呉高専の教育方針や取り組みを聞いて、「面白そうな学校だな」と思ったので、呉高専の学生が参加するイベントを見学させてもらったんです。そして何人かの学生に、「うちのインターンシップに来てみないか」と声をかけました。そこで興味を持ってくれた一人の学生が、広島からはるばる来てくれたんですよ。

そのタイミングで、ちょうど日本テレビの「リアルロボットバトル日本一決定戦!」という番組に出場することになっていたので、彼にも一緒に参加してもらったんです。2m級のロボットをつくるんですけど、彼はとても頑張ってくれました。インターンシップが終わってからも、会社に残ってやってくれていて。この取り組みはテレビでも大きく取り上げられました。

その後、卒業も近かったので、彼を弊社に誘ったんです。高専の学生はみんな優秀ですから、だいたいの子は 、地元の有力メーカーに就職するんですよ。そこで私は、「大きなメーカーに行ったら、そこでやっている仕事しかできない。でも、うちに来ればいろいろな会社と組んでロボットやモビリティの開発にも挑戦できるし、お客さんとの打合せから組み立てまでぜんぶ自分でやらなくてはならない。だから、きっと面白い仕事ができるよ」と話したんです。それで、彼は入社を決めてくれました。

松本:そこから毎年、呉高専から採用することになったんですか?

浜野:毎年ではありませんが、彼の人脈で、その後3人の子が、呉高専から入社してくれました。というのも、ロボット開発は時間がかかるので、一人ではとても手が回らなくなるんです。そうすると彼が、呉高専のロボコン部時代の後輩に声をかけるんですね。「浜野製作所に来て、手伝ってくれないか?」と。それで、呉高専から有望な若手が来て、入社してくれるという流れができあがっていきました。

松本:設計から製作までぜんぶやらなければいけないというのは、人によっては重荷ですよね。ですが、逆に「そんなにやらせてもらえるんだ!」と楽しめる子たちが、浜野製作所に来てくれるんですね。

浜野:はい、おっしゃる通りです。

松本:その上で、浜野さんが、彼らに面白い仕事を放り込む。彼らはそれをがむしゃらにこなしつつ、成長していく。お客さんは驚くんですよね。「浜野製作所って、こんなこともできる会社だったんだ」と。そして、「もっと浜野製作所と仕事をしたい」と思う…。ここにも、いいサイクルが生まれていますよね。

最近の企業は、若手にあまりチャレンジをさせませんよね。重すぎる仕事がプレッシャーとなり、辞められたら困る、という想いが働くから。でも浜野さんのところでは、挑戦させることで若手の力を伸ばしていますよね

浜野:いや、私が挑戦させているというより、むしろ彼ら自身がこだわってくれているんです。「もう少し機能のレベルを上げたい。そのためにはこれを入れなきゃいけない」といったように。自ら仕事の中身を追求していって、その結果として、レベルが上がっているんですよ。

浜野製作所に仕事を頼みたくなる理由

松本:なぜ今、浜野製作所への依頼が増え続けているのだと思いますか?

浜野:今はどちらかというと、新規事業の駆け込み寺的な存在になっています。「社内でいろいろ考えているけど、いいアイディアが出ないから相談にのってくれない?」という依頼がけっこうありますね。

松本:大企業だと、「今までやったことがない」という考えから逃れられなかったり、「ここまではできるけど、ここからはできない」と、線引きすることも多いんですよね。でも浜野製作所にはそれがない。経験から考えるのではなく、まずは「できる」と思ってやってみる。このマインドセットがほかの企業との違いであり、今の日本企業に一番欠けている部分だと思います。

浜野うまくいかないかもしれないことを、あえてやってみるというのは、技術者にとってすごくいい経験になるんですよ。だから、もし失敗しても、「ほら、言っただろう」なんて野暮なことは、私たちは決して言いません。そんなことは当事者が一番よく分かっていますからね。

松本全力でやった失敗には意味がある、ということですね。

浜野:そうですね。「ナイスチャレンジ」ですよ。

次に向かう先は、次の経営者に任せる

松本:浜野製作所は、この先どこに向かっていきますか?

浜野:私も、そろそろ事業承継を考え始めなければいけない年齢になってきたので、これからの方向性は、次の経営者に任せたいと思っています。今はバトンタッチに向けて、周辺の環境を整えているところです。古い設備を入れ替えたり、浜野製作所にかかわってくれる人たちに心や生活の豊かさを提供できるような枠組みをつくったり…。

松本:この問いかけをすると、たいていのリーダーは今後の企業戦略や伸ばしたい事業領域、売上目標などのお話をされるんですけど…とても浜野さんらしいお答えだと思います(笑)。

浜野:ははは(笑)。本当は、私がもっと戦略的に事業計画を立てられる人間だったら、もっと浜野製作所は大きくなっていたのかもしれないけどね。それは次の世代に譲ることにします。

松本人と人とのつながりを大切にするという、先代や浜野さんが培ってきた企業文化は、次世代の人にも引き継いでいきたいですよね。

浜野:そうですね。次の後継者候補である二人の副社長なら、変わるべきところは変えつつも、浜野製作所として大切にしてほしい理念は守ってくれると思います。ただ一方で、これから製造業を取り巻く環境は、より一層厳しくなっていきます。これからの時代を生き抜くために、今後はもっと戦略的な要素を入れていく必要があるでしょう。彼らなら、きっとそれも実現してくれるはずです。――とはいえ実は、私の中で、「浜野製作所の存在意義」というものが、まだはっきりしていないところもあるんですよ。

松本:これは私の見解ですが、浜野製作所は、今後の日本企業のマインドを変える存在になれると思っているんですよ。たとえば、大企業が偉業を成し遂げても、「資金も人材も知名度も揃っているのだから、できるでしょう」と思われるだけで、目標にしたいと思う中小企業はいない。でも、浜野製作所がすごいことをやったら、「下町の町工場にできたのだから、私たちにもできるかもしれない」という希望になります。そういうマインドを生み出せることが、浜野製作所の武器であり、社会への貢献価値なのではないでしょうか

他ではできないと言われた仕事にトライしたり、高専のエースをスカウトしたり、ゼロからいろいろなことに挑戦してきた結果、今の浜野製作所がある。これって、勇気を与えるストーリーだと思いませんか?

浜野:そうですね。簡単なことではありませんが、もし本当に日本企業のマインドを変えられるような存在になれたなら、私たちの価値はそこに生まれるかもしれませんね。高度経済成長期は、この国からホンダやソニーが誕生して、世界的な大企業になりました。でもその後、どんどん社会情勢が変わり、日本はもう「ものづくり立国」ではなくなりつつある。それでも私たち町工場は、ほかの国ではできない、誠実なものづくりを続けてきました。こういう取り組みが評価されて、再び日本の製造業を世界レベルまで引き上げることができたら、うれしいですね。大きな夢のような話かもしれませんが、役員会の中ではそういう話もしています。

松本:そのためには、浜野さんが人や企業をつなぐ外交官となって、どんどん挑戦できる場をつくっていかれるべきだと思います。グローバルニッチトップになれる企業を増やしていくためには、チャレンジできる環境が必要ですから。そういう取り組みも、今後は一緒にやっていけたらいいですね。

浜野:同業他社とか異業他社とか企業規模とか…そういうつまらない枠組みは取っ払って、「こんな社会を実現したい」といった想いや情熱のもとで、いろいろな企業とつながっていきたいですね。

松本:昭和の人づきあいやご両親の想いから、浜野さんの「つながりを大切にしたい」という想いが育まれ、それが今時代を超えて、令和の若者を成長させ、会社をまわすエネルギーになっている。これは、とても面白いですよね。

浜野:そうですね。今でも、スタートアップの子たちが打ち合わせにやって来ると、おまんじゅうを3つぐらい包んで持たせたりしていますよ(笑)。そういう昔ながらの“おせっかい“な気持ちが、そのままなんです。だから、彼らを応援していきたいし、いろいろな企業とつないであげたいと思いますね。

松本:とてもいい話ですね。

浜野:でも、おせっかいはやりすぎると迷惑に変わってしまうので、そこはわきまえないといけないな、と思っています。

松本:浜野製作所の本質は、「迷惑にならないおせっかい」ですね(笑)。ありがとうございました。

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