熟達技術者の知見を次世代へ

荏原製作所、デジタルトリプレットで設計・開発プロセスを革新

支援内容
  • デジタルトリプレット(デジタルツイン+ノウハウ)

ものづくり現場における熟達技術者の知見は、企業の競争力を左右する重要な資産です。荏原製作所では、この暗黙知を単なる個人の経験に留めず、設計・開発プロセスで皆が共有し活用可能とするため、その体系化・可視化を進める取り組みが動き出しています。東京大学で提唱される「デジタルトリプレット」の考え方を取り入れ、設計・開発に関わる思考や判断基準を丁寧に整理し、組織全体で活用できる形にすることで、若手技術者の育成や現場の設計効率改善に繋げています。

本稿では、形式知化を進める活動の背景から社内での浸透のプロセス、独自システム「EBARA開発ナビ」の構築と現在の活用状況までをたどりながら、知識の可視化がもたらす変化と今後の展望について、同社の技監の後藤彰氏、建築・産業カンパニー開発統括部 海外事業開発部部長の渡邉啓悦氏、技術・研究開発統括部 基盤技術研究部 流体・熱・数値解析研究課の陳 思詠氏にお話を伺いました。

【お客様からのコメント】

技監 後藤彰氏

「デジタルトリプレット実践研究会で一緒に活動していたこともあり、オーツー・パートナーズさんは当初から同じ方向を向いていると感じていました。デジタルトリプレットという考え方自体が抽象度の高いもので、社内で説明するのも簡単ではありませんが、研究会での議論を通じて、設計者の頭の中にあるロジックを丁寧に書き出し、整理していく姿勢に共感していました。
実際に取り組みを進める中では、ポンプの詳細設計といった専門領域を必ずしも理解しているわけではない立場から、何度も問いを投げかけてもらいました。最初は戸惑いもありましたが、結果として、自分たちが当たり前だと思って見過ごしていた部分を掘り起こしてもらえたと感じています。社内だけではここまで整理しきれなかった設計プロセスを、形式知としてまとめ上げることができた点は、大きな成果だと考えています。」(株式会社荏原製作所 技監 後藤彰氏)

【ご支援先】 

株式会社荏原製作所

荏原グループは、1912年の創業以来、ポンプを中心とする産業機械メーカーとして社会・産業インフラを支えてきました。長年にわたり培ってきたエンジニアリング力を強みとし、国内外で事業を展開しています。

同社は、製品開発から製造、保守・サービスに至るまでを一貫して手掛ける体制を有し、技術と知見を積み重ねながら事業を発展させてきました。近年では、設計や開発の高度化に向けてデジタル技術やAIの活用にも取り組み、技術基盤の強化を進めています。



担当プロジェクトマネージャー
寺田 武史

シスメックス出身。検体検査装置の開発部門にて電気系設計、法規制・許認可対応、市場フォローなどに従事、その後オーツー・パートナーズに参画。

主に製造業を対象とした、設計可視化、業務改革を中心とした支援を担当。あわせてエンジニア教育や商品企画検討まで多数のプロジェクト経験を有する。専門分野の電気系開発だけでなくメカ/ソフト/流体設計、また調達から製造、法規制/認証関連まで、幅広い知識をもとにした顧客に寄り添うコンサルティングサービスを得意としている。


研究成果が現場に届かない。長年の課題を「知識の形式知化」で解決

「研究や技術開発の成果が、なかなか現場に届かない」——荏原製作所で長年、研究開発に携わってきた後藤氏は、この課題に悩み続けてきました。デジタルツールを提供しても、それをどう使うか、使った結果をどう評価し設計にフィードバックするかといったノウハウが伝わらなければ、真の意味で活用されることはありません。

デジタルツインやシミュレーションといった言葉が溢れている中で、何か違うんじゃないかと思っていました。ツールを導入すれば解決するという話ではなく、どうデジタルツールを使うか、使った結果をどう考えるか、考えた結果をどう設計に反映するか——そこがないとダメだと痛感していました」

その解決の糸口となったのが、2021年に東京大学の梅田靖教授が提唱する「デジタルトリプレット」という概念との出会いでした。デジタルトリプレットとは、製品開発において物理空間とデジタル空間を融合させるだけでなく、そこに「知識」という第三の要素を加えることで、設計プロセスそのものを体系化・可視化する考え方です。

「梅田先生の講演で、頭の中のロジックを解き明かしていくプロセスを見て、これは新しく生み出された技術を伝える上でも重要な考え方だと思いました」と後藤氏は振り返ります。翌2022年、後藤氏ら3名のメンバーは梅田教授と数カ月間、自分たちの設計プロセスを書き出し、議論を重ねました。そして、梅田教授が主宰するデジタルトリプレット実践研究会にも参加しました。

「最初は、自分の考えを書くことがいかに難しいか痛感しました。でも書いていくと、ロジカルに説明できるものになっていく。これは使えると確信しました」

技術・研究開発統括部 基盤技術研究部 流体・熱・数値解析研究課 陳 思詠氏

経営陣の後押しを得て——コンサルの力を借りる決断

建築・産業カンパニー 開発統括部 海外事業開発部 部長 渡邉啓悦氏

2022年にこの取り組みを経営会議で提案しましたが、2023年にCTO(最高技術責任者)に就任した三好氏から意外な言葉を投げかけられました。「自分たちだけでやってはダメだ。コンサルを入れよう」

三好氏は、かつて環境カンパニーで知識整理に取り組んだ経験がありました。「その時、自分たちだけでは紐解けなかった知識が、コンサルタントを入れることで整理できたんです。だから、同じ轍を踏むなと強く言われました」と後藤氏は当時を振り返ります。

そこで選ばれたのが、同じデジタルトリプレット実践研究会に参加していたオーツー・パートナーズでした。「研究会で一緒に活動していたので、同じ方向を向いていると感じました。加えて、他社のメーカーでエンジニアリング自動化や知識整理の実績があると聞き、我々もできるかもしれないと思いました」と後藤氏は選定理由を語ります。

陳氏も、オーツー・パートナーズの提案に強く惹かれた一人です。「デジタルトリプレットという概念は、社内に説明するのも難しい抽象的なものです。でもオーツー・パートナーズさんは、DSM(設計構造マトリクス)などの具体的な手法を示してくれました。ワークショップとして体験しながら、どう整理できるのか見ていきたいと思いました」

160名が利用可能に——システム化と形式知化の二本柱

当社シニアマネージャー・寺田武史

2023年9月、本格的なプロジェクトがスタートしました。目標は明確でした。ベテラン技術者が持つ暗黙知を「形式知」として整理し、組織全体で活用できるようにすること。そして、それを体現するシステム「EBARA開発ナビ」を構築することです。

プロジェクトは大きく二本柱で進められました。一つは、オーツー・パートナーズのファシリテーションによる「形式知化活動」です。社内の熟達技術者へのヒアリングを通して、設計・開発プロセスを最小単位まで分解し、各工程でのインプット・アウトプット、使用するツール、判断基準、過去の失敗事例などを丁寧に書き出していく作業です。

「オーツー・パートナーズさんたちは、ポンプの詳細設計なんて知らないわけです。最初は『そんな基本的なことも知らないのに』とイライラした人もいたと思います。でも何回か付き合っていくと、我々が見過ごしてしまうところを掘り起こしてくれることがわかりました」と後藤氏は語ります。

渡邉氏も、オーツー・パートナーズのファシリテーション能力を高く評価します。「内部だけでやると『そうだよね』で終わってしまうところを、『どうしてそうなんですか?』と聞いてくれることで、情報を引き出してもらえました。これは自分たちではできません」

参加した技術者からは「自分たちがやっていることが整理できた」「新しい考え方がわかった」「オーツー・パートナーズがいなかったらできなかった」という声が相次ぎました。

もう一つの柱が、形式知化した知識を格納・活用する「EBARA開発ナビ」の開発です。EBARA開発ナビとは、この活動によって形式知化した知見を搭載した荏原製作所独自のシステムです。開発における「手順を示す」「必要な情報を示す」「考え方および理由、根拠を示す」「情報を蓄積して繋ぐ」という4つの役割を持ちます。若手は形式知化されたノウハウを本システムを通じて獲得することができるようになります。陳氏はその狙いをこう説明します。

「ベテラン技術者や熟達者のノウハウ・知見を、ある程度の体系で構造化して整理します。プロセスはどうなっているか、最小単位でどのような検討方法があるか、どのようなシステムを使うか、どのような理論や根拠でやるか、過去の失敗事例も含めて——こういうものを書き出して、システムに実装します。組織全体がいつでも誰でもアクセスできるようにしたかったんです」

一方、熟達者たちにとっても本システムが原理・原則・考え方をサポートすることで、新規開発におけるQCD向上・対応力向上が可能になります。また、若手の支援に要する負荷が軽減されることで、より高度な業務に挑戦する時間を獲得することができます。

2024年を通じて開発が進められ、2025年にリリースされました。現在、約160名がアクセス可能な状態になっています。

陳氏がこのプロジェクトにこれほど情熱を注ぐのには、個人的な経験があります。「入社して10年以上経ちますが、自分の上に付く先輩や事業部によって、自分が持つことができる情報量が全く変わることは大きな課題だと感じていました。私は運良く、先輩に恵まれたのですが、私にとっては普通のことでも別の部署の同僚にとっては『そんな知見があるの?』ということがよくあります。情報の、最低限の平等を提供したかったんです」

「草の根活動」が生んだ風土の変化——ボトムアップで突破

プロジェクトで最も苦労したのは、全社への展開でした。トップダウンで一気に全社展開する方法もありますが、それを実現する社内の仕組みは十分とは言えない状況でした。

「さらに当時は対面市場型組織への転換を進めていた時期で、顧客の声を重視する方針でした。エンドユーザーにどのように成果が届くのかわかりにくい、インターナルな取り組みへの理解を得るのは難しかったんです」

そこで取ったのが、渡邉氏や陳氏を中心とした「草の根活動」でした。組織長の自覚と関与の下で、開発・設計部門の各リーダーに声をかけ、同じ課題感を持つ部門を一つひとつ説得していきました。「会話しかないです。同期や同僚を通じて説明を重ね、興味ありませんか?と地道に活動しました。かなりエネルギーを使いましたね」と渡邉氏は振り返ります。

社内シンポジウムでの発表、研究部門の発表会でのポスター展示——あらゆる機会を使って、デジタルトリプレットの概念を広めていきました。地道に社内での発表を繰り返していくことで、興味を持った社内のメンバーが手を挙げ、協力者が増えていくことでプロジェクトは加速していきました。

現在、複数のチームが自走しながら形式知化を進めています。それぞれが独自のペースで、しかし着実に知識を整理しています。

「参加者からは『自分たちがやっていることが整理できた』『新しい考え方がわかった』という声が上がっています。これは風土が変わり始めている証拠だと思います。デジタルトリプレットの考えを伝え、システムにしていくということを通して、会社の風土を作っていくことにも意識があります。オーツー・パートナーズさんとの活動を通して、会社の中で人の知識をいかにして形式知化して伝えるか、ということへの意識が根付きつつあるのかな、と思っています。また、ここから横に広げる時に、同じエネルギーをかけてくれる人がいるかどうか——そこはまだ心配ですね」と後藤氏は語ります。

新人教育から知識駆動型DXへ——広がる可能性

「EBARA開発ナビ」の活用も着実に進んでいます。特に効果が見えているのが、新人や中途採用者の教育です。

「新人が来た時、『流体設計はどうやるんですか?』と聞かれたら、『開発ナビに書いてあるから確認しよう』と言えるようになりました。彼らは開発ナビを見て学習し、それをもとに質問してきます。標準知識を持って質問すると、質問の質も高くなります。我々もどこに問題があるかすぐわかるので、対応効率が上がっています。良い循環が回り始めています」と陳氏は実感を述べます。

また、形式知化活動を実施しているチームからは「早く開発ナビを入れてほしい」という要望が上がり、すでに全データを投入しました。実際の業務で使い始めています。「使ってみて、UIをもうちょっとこういう風にしてほしいというリクエストももらっています。使いながら改善していくという良い循環です」

さらに、他カンパニーからも「ベテランがいなくなる前に知識を整理したい」という相談が寄せられています。歴史ある荏原製作所、その技術の蓄積は膨大です。その技術を伝承させていくという課題は全社共通であり、「EBARA開発ナビ」の横展開への期待は高まっています。

後藤氏が描く未来は、さらに先を見据えています。「新しい技術分野への挑戦にもEBARA開発ナビを使いたい。我々が経験していない分野でも、公表されている技術文献や他社の事例から、基本的なエンジニアリングプロセスは作れるはずです。それをAIを使って提案し、AIエージェントと我々がディスカッションしながら最適なプロセスを作っていく。そういう使い方ができるんじゃないかと考えています」

実際、AIを活用した形式知化の加速にも着手しています。「暗黙知の抽出は大変な作業で、いつまでもコンサルにお願いするわけにもいきません。プロセスを少しエージェント化して、『こういうことを聞いてみたら?』とアドバイスしてくれるエージェントができれば、抽出も加速します。設計者自身がAIとキャッチボールしながら自分のプロセスを紐解く——そんなエージェントを今、試しているところです」

「知識駆動型DX」という新たな挑戦

2026年3月、荏原製作所はこのプロジェクトを「知識駆動型DX」という大きな傘のもとに位置づけ直しました。「EBARA開発ナビ」のプロジェクトと、AI開発を進める「Ebara Brain」プロジェクトを融合し、知識を軸にしたデジタル変革を加速させる構想です。

「世の中はデータ駆動型DXと言いますが、我々は『知識駆動型』が本質だと思っています」と後藤氏は力を込めます。「データだって、役立つデータと何にも役立たないデータがあります。整理されていない情報は本当に役立つのか。結局、知識になっているから役立つんです。ちゃんとしたロジックがあるところは、ロジックを踏まえた上でAIを使った方が絶対いい。デジタルトリプレットの概念で知識を整理した上でAIを活用する——そのステップを踏んだ方が絶対いいと確信しています」

この考え方は、世間に溢れるAI万能論へのアンチテーゼでもあります。「色々な情報をAIに食わせたら、AIが何かいいことをやってくれるんじゃないか——そういう話で満ち溢れていますが、私はそれをすごく疑問に思っています。流体解析の知識を紐解いたところは、流体解析専門のエージェント化できる。それが他の業務プロセスと連携して、アシストしてくれればいい。知識を流通させる——そういう形になると思っています」

技術伝承という古くて新しい課題に、「知識の形式知化」という王道で挑む荏原製作所。その挑戦は、日本の製造業が直面する共通課題への一つの解答になるかもしれません。そして何より、「草の根活動」から始まった風土変革が、組織全体のものづくりの在り方を変えようとしています。

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